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ビアンキカップへの道’89

ビアンキ カップへの道 89 No.05


【前夜】

断ち切るために

午前3時に起きた。
眠りについたのが0時を回っていたので、睡眠量は圧倒的に足りない。まぶたもパッチリと開かず、いくら力を入れても半開きにしかならない。
しかし、眠くはなかった。
数時間後にはビアンキカップ出場のために飛行機に乗る。それを思うと心臓の動きも早くなった。だからといって、不安とか期待とか、そういったものは感じなかった。
 「ビアンキカップ」は、ぼくの人生の中でひとつの節目になるものだ。
自分の生き方を見つめ直したとき、今現在の生活に疑問をもってしまった。「疑問」というのは、自分が、自分の人生の主人となっているだろうか? ということだった。
人間は必ず死ぬ。
いや、人間だけじゃない。生物に限らず、形あるものは必ず消滅する日が来る。ただ、人は、誰も「自身の死」というものを経験したことがなく、そんなことを考えても楽しくないため、普段は無縁のこととして無視している。それはちょうど、病気になるまでは健康が当たり前であると思い込んでいるのと同じだ。だが、いくら知らん顔を決め込んだとしても、死は確実にやって来る。
 17歳のときだった、ぼくはいつか来る死を後悔なく迎えるために、自分の人生の主人となることを決意した。
<自分の人生なのだ。自分の生きたいように生きよう。自分が本当にしたいことをしよう。そのかわり失敗したときは自分で責任を取ればいい。そして死ぬ瞬間には、決して「あれをやっておけば良かった」などとは言うものか>
 イチローさんのレポートに感動した、高校生の頃のケンはそう誓ったのだった。
 あの誓いから12年が過ぎ、ぼくはアメリカで実銃を撃つトレイニングを積み、ビアンキカップを迎えたことに満足している。まだまだ自分は生きていけるんじゃないだろうかと、アメリカでの4カ月間の生活が過ぎたところで自信が出てきた。
人生につまづいてしまうと立ち直るのに時間がかかるものだけど、今回は4カ月と短くて良かったよ。


“ケン、いよいよだな。早く本番で撃ちてぇなあ。ガマンできねえよ”
と、出発の用意を終えたテツヤがいった。イチローGUN団の中では最も練習量が少なかったテツヤだが、決して仕上がりは悪くなかった。ミッキー ファアラのレンジでの特訓が功を奏し、本番でプレイトをクリーンできる可能性を充分に持っていた。
“ホント、ホント。ここまで来たら早く撃ちたいよな。帰りは賞品ガッポリだよな”
と、ぼくも調子づく。まだまだ、ビアンキカップで何が起こり、どんな展開を見せるのか知るよしもない時点での、ふたりの会話だった。


ランパワーとの出会い

 ビアンキカップ出発組は、イチローさん、ヒロさん、イナバ、テツヤ、そしてぼくの5人だ。ヤスとヨーコのふたりは、あと3日間ばかり撃ってから出発する。そう、ビアンキカップが始まるまであと1週間という時間があるため、ふたりは最後の最後まで特訓をするらしい。
350万円という大金を用意しビアンキカップに挑戦するふたりは、そこらのハンパ小僧とは違う。シュートオフを目指し、ウーマンチャンプを夢みるだけあって、気合いの入れ方が凄まじい。
では、先発組が怠けているのかというと、さにあらず。
実は試合前にラン パワーさんの家に遊びに行き、あろうことか、みんなしてパワー カスタムを作ってくれるよう、お願いする計画を持っていたのだ。
 ラン パワーに会えると聞いて平常心でいられたら、この世界のシロートだとバレる。
ぼくもテツヤもガンに関しては「キ印」のくちなので、カリフォルニアからミズーリまで向かう飛行機の中では、パワーさんのことで話がはずむ。イチローさんが書いた数ある実銃リポートの中で、最も気に入っているのがパワー カスタムを特集したものだ。今まで500回以上読み返している。
あの、生きている伝説の人物「ラン パワー」に会える。そう思うとドキドキしてくる。
 飛行機の中では、みなリラックスしているが、イチローさんだけは何か原稿を書いていた。
ガン テストリポーターというのは、常に仕事のことを考えながら試合に臨む。集中力を欠いた状態でガンを撃つことになる。仕事とはいえ、考え事をしながらガンを撃つという条件を課せられての試合は、必然的に不利になる。
もし試合に集中でき、写真や記事のことを忘れられたら、イチローさんの優勝も充分にありうるというのに‥‥。


 飛行機から降り、レンタカーに荷物を積んでスタートとなった。腹ペコなのでバーガーキングで遅い昼食を済ませ、元気よくパワーさんの家に向かう。何でも、つい最近大きな土地を買って引っ越したのだという。
ビアンキカップが開催される、ここミズーリ州は、日本の田舎と似ていて緑が多く湿度も気温も日本に近い。ぼくたち日本人の感覚では、カリフォルニアは「砂漠」という感じになるので、水のたっぷりとあるミズーリはホッとする。
 フリーウエイを突っ走り、田舎道を2時間ほど進んだところでパワーさんの家に着いた。
“わっはっはっはー。コンニチワー”
 大きな大きなパワーさんは、ゆったりと家の中から出てきたかと思うと、いきなり日本語でそう挨拶した。
“コチラ、ママサンネー。コチラワ、オクサンネー”
 パワーさんは家族も紹介してくれた。
 昔は、エライ人ほど威張っているものだと思っていた。上等な服を着て、高価なものを身に着け、攻撃的に話す人がそれだと考えた。ところが、本当に力を持っている人は自分を飾る必要がないので、拍子抜けするくらいに質素で素直な性格であることが多い。パワーさんがそうだった。ぼくには、どうしても陽気なおじさんとしか映らない。
 肩の力が抜けた時間が流れた。心底楽しめた。
パワーさんの操縦するモーターボートに乗ったこと。
庭で、ガイ ホーグも交えてソーセイジを焼き、ホットドッグを食べたこと。
トンプソンSMGをフルオートで撃ちまくったこと。
4輪バギーを乗り回したこと。
エビを60匹食べ、リボルバのチューニングではどこが大事であるか‥‥といった話。
どれもこれも想い出ぶかい。
ミズーリ出発までの数ヶ月間、シューティングに夢中になっていたことが嘘のような毎日だった。
何だか、ビアンキカップは、もうどうでもいいじゃないかという気にさえなっていた。
そんなことから、ホテルに予約の再確認の連絡を入れることも忘れていた。


前夜

 ビアンキカップを2日後に控え、パワーさん一家と別れた。
ホテルの予約はキャンセルされてしまったので、別のホテルを見つけて転がり込む。特に困ることもない。
パワーさんの家でゆっくり遊ばせてもらえたお陰で、試合を前にしてもすごく静かな気分でいられた。起きていても、寝ているときのように精神は楽だった。試合会場を見学にいったときでさえ、
<フーン、ここで撃つのか‥‥>
と、他人ごとのように見て回れた。少なくとも、試合のスケジュールを見るまでは気楽だった。


 試合進行スケジュールの発表。
日本人シューターはみんなして、午後1時から3時頃に撃つ。が、ぼくひとりだけが、朝7時45分に撃ち出すことが判った。
<7時45分‥‥。身体が「意思」に反応できるか‥‥>
 勝負は後よりも先のほうが、プレッシャーが無い分だけ有利だ。が、身体がほぐれていなければ意味がない。
条件は良くない‥‥。
“良かったなケン。明日イチバンに撃てるじゃないか。それに朝なら順光だ”
 イチローさんだった。本当に良かったという感じの優しい顔でそう言った。
イチローさんの顔を見ると落ち着くのは、昔、死のうと悩んでいたときに生きる力を与えてくれたからなのか、はたまた、美味しいものを食べさせてくれるからなのか自分にも判らない。


 明日の朝にはビアンキカップの大舞台でガンを撃つ。
ガンや弾をチェックしてからベッドに入ったが、鼓動がうるさくて眠れない。
ドク・ドク・ドクと耳鳴りがする。
息が苦しい。
体温も上がる。
朝5時の起床だというのに0時を過ぎても目は冴え、あろうことか、神経は尖り始めた。
戦いは「前夜」からすでに始まっていた‥‥。

to be continued


戻ります。
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