ビアンキカップまで残すところ3週間。もう、何をするにも時間が足りなかった。
アメリカへ渡って3カ月以上もの時間が過ぎたというのに、シューティングの腕前は、カタツムリのスピードでしか上達していなかった。日本で頑張っているエアガン シューターには見せられない、ぶざまな記録が毎日続いた。
しかし誰の責任でもない。
すべてが自分の努力不足、探究心の欠如によるものだ。
夢にまで見たプレイト クリーンは、まさに夢に終わりそうな予感があった。ビアンキカップを目と鼻のさきに迎え、クリーン率10パーセントでは笑い話にもならない。後はもう誰か別の人の、いや、人でなくてもいいが、何か目に見えない力でも働いてくれないことには、どうしようもなかった。
「苦しいときの神頼み」という言葉がある。
ぼくは弱い人間なので、すぐに他人の力を当てにする。そして多くの場合に神にもすがる。もともと無神論者で、一般的に考えられている神様の存在など全く信じていないというのに酷いものだ。
それは、どういう心理状態なのだろうか?
存在を信じてもいないものに助けを求めるとは‥‥。
弱さを隠したくて、誰かに責任を押しつけたくて、神頼みなどするのだろうか? はたまた、単なる精神安定のおまじないなのか、ここ一番というときに、
<どうか上手くきますように〜。後生で御座いまする〜>
などと心のなかで叫んでしまう。
「神仏は尊ぶものであって、すがるものではない」と、心の師、宮本武蔵も記しているし、自分でもそういった結論を頭では出しているというのに、何ともふんぎりが悪い。
<残された時間を精一杯やるだけだ。成功しても失敗しても、それは自分が導き出した結果でしかない。先のことをアレコレ心配して精神的エナジーを無駄に使うよりも、とにかく後悔しないシューティングをしよう>
そう決心した次の日から、ミッキー ファアラのレンジでの最終特訓がスタートした。
“ケンもテツヤも試合の流れは把握できた、しかしテッテイテキに基礎力が足りん。よってこれからビアンキまでは、プレイト クリーンのための特訓に入る。メニューはできているのでガンバルよーに‥‥”
イチローさんはそう言いながら、1枚の紙をぼくとテツヤに渡してくれた。
世界のイチロー ナガタがプレイト クリーンのための秘策を授けてくれるというのだ! 期待に胸を踊らせ、ふたりして紙を開いた。
特訓の内容は、気が遠くなる練習方法と量だった。
ぶっ続けに500回をこえるプローンを目標とし、同時に集中力養成とフリンチ抹殺のためのスペシャルメニューなのだ。いつかビアンキカップに出場してみせると誓いを立てている君のために、その特訓内容を教えよう。
以下すべてプローン。
(1)35ヤードから2.8秒で1発撃ち。5発は実弾、1発は空のケースのみ。100回。
(2)35ヤードから3.8秒で2発撃ち。3発は実弾で他の3発は空のケース。100回。
(3)35ヤードから9秒で6発撃ち。5発は実弾で1発は空ケース。100回。
(4)フォーリング プレイトをコースで2回。5発は実弾で1発は空ケース。
ここまでで400発を撃ったことになるが、この続きは「ふりだしに戻る」というパターンだ。
実際には、ぼくもテツヤも(1)〜(3)までを繰り返し、(4)はやらなかった。(4)を撃つほどの力量がなかったというのが正直な話だ。
説明のために箇条書きにしてしまうと、
<な〜んだ、簡単そうジャン!>
といった感じにしかならないが、これが、見ると行なうとでは別問題で、反動に例えるならば、エアガンと本物の.44マグナムほどの差がある。
異常気象なのか、ムンムン、ムレムレという、まったくカリフォルニアらしからぬ「湿気」をたっぷりと含んだ重く暑い空気のなかで、伏せたり起きたりを繰り返す。
しかも「気力」は、プレイトを狙うことのみに使い果してしまうため、ダルさに襲われるのがやけに早まる。いくら、
“ガンバルぞ!”
と叫んでみても、わずか5秒後には、
“ワシ、だめら〜。もうムリら〜”
となってしまう。なにしろ、100発撃つたびにシャツを絞るほどだから、その暑さも尋常でない。
“テツヤ、調子はどうだ?”
流れ落ちる汗を拭いながら、ぼくは声をかけた。
“だめだ。フリンチがとれない。自分でもわかっているのに下を撃っちゃうよ。今年のビアンキカップは練習だな”
ボロ雑巾のようになったテツヤが答え、続けて、
“それにしても腕がいてえなあ”
と顔をしかめる。
プローンに入るときに一瞬体重を支える左腕が、ふたりして丸太のように固くなっていた‥‥。
ラスト1週間。
泣いても笑っても、それ以上の練習はできない。
この1週間はアパートにも帰らず、シューティング レンジに寝泊りしての最後の悪あがきだ。練習用のタマを作るためのリローディング マシーンまで持ち込んで、作っては撃ち、撃っては作るという狂気(いや狂喜だ)の練習が行なわれる。
イチローさんはムーバーに凝っていて、30パーセントのクリーン率だ。クリーンできないときでも失点は2点とか4点なので、もしかしたらビアンキカップで優勝するかもしれない。他の3つのステージは、クリーンしか見たことがない。まったく、悪魔のような強さを持った師匠だが、ミッキーはもっとすごい。
キャリアも違うし、文字通り世界チャンピオンと呼べる実力者なのだから驚くに値しないのだろうが、それにしても、言葉を失うほどの射撃を見せる。もちろん、それほどのシューターは全米を探してもめったにお目にかかれない。
少なくとも、ひょっこりと日本から出掛けていって到達できるレベルではない。
‥‥はずだが、もうひとり凄いシューターがいる。ヤスだ。
同じように日本を後にし、同じように練習してきたにもかかわらず、とてもヤスには勝てない。
気の小さいケンの性格からすれば、これはもう立派にシットの対象となるべき男なのだが、あまりにも実力に差がありすぎて、ただただ見上げるばかりだ。
ヤスならばショートオフに残れる。
これはもう絶対だった。
それにヨーコもいる。
イナバはバリケイドとプラクティコゥの仕上げ段階に入り、失点も2点とか4点に抑え、時にはクリーンも見せるという段階まできていた。
先輩のヒロさんは経験がある分安定したシューティングを自分のものにしている。
それにひきかえ、ぼくとテツヤのふたりは、相変わらず伏せたり起きたりの繰り返しが続いている。
とはいえ、特訓の成果は確実に表われ始め、プレイトのクリーン率も50パーセントは越えていた。
が、練習での50パーセントでは、本番でのクリーンはありえない。
<エーイ! そんなことをクヨクヨ考えて何になる!!
ようは自分の魂が燃えているかどうかだ。ミッキーのレンジでの特訓は完全燃焼すればいいんだ!>
何かに取りつかれたようだった。
精神は別人になっていた。
プレイトしか見えなかった。
そして ―――― 、すべての練習は終わった。
“もう思い残すことはないな。あったら来年帰ってこい”
イチローさんが言った。
その言葉を聞く、日焼けで真っ黒になったみんなの顔が光ってみえた。
ミッキーのレンジでの特訓は一生忘れられないだろう。
いや、練習だけじゃない。レンジ造りでの穴掘り。お昼のときにイチローさんが作ってくれたネギ サラダ。(ネギをブツ切りにしてマヨネーズをかけただけのもの。旨かった)月明かりでのプレイト撃ち。ウサギの追いかけっこ。東京ドームが何百と入ってしまうミッキー ファアラの土地を、まるで祝福するかのように毎夜包み込んだ星空‥‥。
すべての荷物を車に積み込み、イチローさんのドライブするモーターホームはゆっくりとスタートした。
象のようなサイズのモーターホームが、曲がりくねった道をノシノシ・ユサユサと走り抜けるたび、そのボディに、遥か彼方に沈み行く太陽を映し込み、黄金の輝きを放ち、紫の空に映えた。
<またここに帰ってくるぞ!>
大自然の与えてくれた、時間と空間とが織り成す芸術が、そう決心させた。
試合のため、ミズーリ州へ向かう2日前のことだった。
to be continued