しかし、この作品の真の主役はロバート・フォード(ボブ)役のケイシー・アフレックのほうだ。ジェシー・ジェームズを憧れのまなざしで見つめるその眩しい表情の演技がなんとも切なく、哀しいものがあった。幼少の頃から憧れ続けていたヒーローにも実は小心で狡賢く、また意地悪な部分もあったりして、そのことをいつもマトモに受けてしまい、いちいち傷付く不器用な人間。それでもやはり憧れを捨て切れない悲しさを、台詞やアクションではなく、表情だけで伝えるのだから凄い。彼は間違いなく、次回のアカデミー賞にこの作品で絡んでくると思う。
また、ボブの兄、チャーリーを演じるサム・ロックウェルというのも良い役者で、この人は悪役、善人、クールな知能犯、巻き込まれてしまういい人、どんな役にでもなり切ってしまう「演技の達人」みたいな役者なのだが、今回はいつキレるかわからないジェシー・ジェームズと弟ボブ、この2人をハラハラしながら見守り、いろいろな事に加担させられるのに「物事の主導権は絶対に握らせて貰えない」という、とても可哀想な、しかし非常に良くありがちな役回りの人物をリアルに演じている。ジェシー・ジェームズ暗殺というある意味「偉業」を成し遂げたにも関わらず、結局仲間を裏切ったという負い目から立ち直れず、身を持ち崩す姿が痛々しかった。
ところでこの作品は派手な銃撃戦やアクションを主体としたものではない。にも関わらず、銃を扱うシーンのリアルさは特筆に価する。例えば銃が収まっているホルスターの形状や位置が、まさに19世紀後半の当時の姿そのもの。本来はサーカス大道芸であった早撃ちや曲撃ちの技を取り入れたハリウッド西部劇やマカロニウエスタンが観客に植え付けた「鮮やかで格好良いけれど嘘の描写」を一切引き摺らない、リアルなガンファイトに唸ってしまった。
特にボブが「最初の殺人」を経験するに至る仲間内でのトラブルの場面では「拳銃のあまりの当たらなさ」に思わず膝を叩いてしまった。あれは過去の映画ではケヴィン・コスナー主演の『オープンレンジ』以来、ハリウッド映画では恐らく2度目の描写であり、実銃によるコンバット・シューティングを経験している者にとっては、「100m先の敵の頭を一発で撃ち抜く!」みたいなシーンよりもよっぽど説得力があった。実際の撃ち合いの怖さ、緊張感、心理状況が凝縮されていた。